北天草「苓北」を行く 14.3.15
 その昔天草の事を「苓」(レイ)と言ったそうだ。天草の北に位置するから「苓北」と呼ぶのは最もな事だ。
 苓北は戦国時代と江戸時代に2度大きな戦火が起こった。豊臣政権と徳川政権。こんな地方の最果ての地までを揺るがした事変の痕跡を見たくて銀ゴキを走らせた。

 戦国の世、天草は「天草五人衆」と言う五家の字侍が収めていた。この苓北は「志岐氏」の納める土地であり、豊臣秀吉の九州征伐ではいち早く秀吉方に付く事でその恩賞として「本領安堵」の朱印を貰った。
 その後同じく秀吉から肥後半国を貰った「小西行長」が居城の「宇土城」築城の普請を自分の国中である天草五人衆へ命じた。天草五人衆としては秀吉から直々に「本領安堵」を貰っているから、同じ(同格)国持ち大名から手伝えなんて言われる道理が無いと普請を拒否をした。これは秀吉のずるいところで、「長いものには巻かれろ」という都会の付き合いをしらない無骨な田舎侍は行長・清正(加藤清正)の連合軍に叩きのめされる結果となった・・・。

 当日朝、まだ肌寒い。冬装備をしていつものように国道57号線を三角方面へ向け出発した。西に向けて走っているものだから背中に日光があたり前面が寒い。帰りは逆か^^;
天草五橋3号橋手前の「天草ビジターセンター」駐車場で最初の休憩をとった。
 ここを利用したのはなんと初めてで、目の前には天草の自然を知る無料の資料館があるが、今回もスルーして先を急いだ。

 天草上島に入り、米ノ山ICから四郎ヶ浜ICまでは高速無料区間を軽快に飛ばした。銀ゴキのキャブセッティングもいい感じかな。
ところが天草上島と下島を結ぶ唯一の橋「瀬戸大橋」近くまでくるとにわかに渋滞が増してきた。こんな時はバイクの機動力を活かしてバイクを前に進めていく。

 こんな時、私は決して「オラオラ」とか「ドケドケ」と威張り腐って走っているわけでは無く、「すいません」、「ちょっと通りま〜す」的な申し訳ない感情で走る事が多い。相手を驚かせない、ローインパクトが基本だ。しかし中には意地悪な輩がいて、幅寄せしてきたり、抜こうとするとわざとスピードを上げたり妨害してくる奴がいる。そんな時私は、頭の中のスイッチが「ON」に切り替わって、相手をぶち抜くまでアクセルを開けるまでだ。でも、もうそろそろ落ち着かないといけないかな・・・(^^;

 瀬戸大橋を渡り本渡市内を抜ける。国道は海岸線ルートだが、ここはローカル路線にこだわり県道44号線の山越えルートをとる事にした。44号線に入るとすぐ「祗園橋」と言うちょっといそそられる名称にバイクを止めた。

 島原の乱では激戦区で川の流れが血で染まったらしい。
 この橋が面白いのは、石組みでは無く柱と柱に細長い石を渡してあるだけだと言うところだ。地震でもきたらすぐ壊れそうだけど200年近く持ちこたえているのが凄い!

 一息つくとまずは志岐氏の居城「志岐城跡」を目指した。県道44号線を行く。最初は道も広く軽快に走っていたが・・・。にわかにうっそうとした林道のような道に。
この道はオンロードバイクで行くところでは無かった><暗い・砂利・落葉・コケ・濡れているetc・・・。その辺の農道のほうがよっぽど気が利いている。狭いし、アップダウンだし、カーブだらけ(泣

 峠の切り替えし付近では道路工事中で数人の人が道路わきで弁当を並べていた。突然現れた爆音のバイクに目が点(・・;お騒がせしました〜!
結局一台も対向車は無く苓北までたどり着いた。誰も通らないなら風化が進むよね・・・。

 「志岐城跡」の標識を見て小高い丘を駆け上がる。割と広く、三の丸、二の丸は切り開かれた広い空間だ。
 本丸入り口から見た三の丸。
 
 本丸入り口から見た二の丸。志岐城は、元久2年、菊池氏一族の志岐光弘が志岐六ヶ浦の地頭に補せられたあと、築城したといわれている。しかし、志岐城がいつ築かれたかは定かではないとの事だ。
 本丸寸前までバイクで行けた。もう目の前が志岐城本丸跡だ。沢山の木々が植えられ、城の痕跡が見えないのがちょっと残念。意味の無いへんなお堂も建てられているし・・・。

細長い山の地形を利用した典型的な山城で、中世の地場大名にしては規模は大きい。しかしここには石垣が全く無い。石そのものが見当たらないのだが・・・。
 本丸から徳川期に建てられた「富岡城」が望めた。(写真中央の山の上)あの城を築城する時に持って行かれたのだろうか。
 
 期待していた「志岐城跡」だったが、当時を偲ばせるものは本丸奥の土塁のみでちょっと残念。ヘタに人の手が入ってないほうが良いのだ。きびすを返し次は向こうの「富岡城」へ向かう。

 その前に昼食をとりに富岡港へ向かった。何でもここにちゃんぽんで有名な「明月」という食堂があるらしい。地図で場所は確認したし、狭い町なのですぐ解ると思いきや、なかなか見つける事が出来ない><仕方なく富岡港のフェリー乗り場で場所を聞いた。
 ここから長崎の茂木までフェリーが通っていたのだが、利用者の減少からか現在運休中だ。(定員12名の海上タクシーだけ営業中)

 そんなこんなでやっと店を見つけた!周囲はまったく人気が無く、開いているのだろうかと恐る恐るドアを開けた。室内は4人掛けテーブル席が2つ、2人掛けテーブル席が1つ、小上がりの2人座卓が1つととても狭い。13時を回っていたが、4人掛けテーブルが1つ空いているだけだった。座る、しかし店員さんらしき人は居ない><壁には有名人のサイン色紙が張られ、ちゃんぽんの並と大盛り、卵入りちゃんぽんの並と大盛りの4つしかない。

 途方に暮れていると、横丁のドアがガッと開いて店員さんらしきおばちゃんが無愛想にやってきた。卵入りちゃんぽんの並を注文すると黙ってまたドアの中に入っていった。なんだか緊張するな・・・。でもこんな店は味は確かかも!

 ほどなくちゃんぽんがやってきた。小ぶりのどんぶりに鶏がら100%のスープ、自家製麺は少し太麺だ。珍しいのは肉は豚ではなく鶏肉ってところだ!
 ここで肝心な事に気が付いた!実は11日火曜日あたりから風邪で、まだ完治してないせいか味覚が解らないのだ><;スープはとてもトロトロして濃厚。麺も噛み応えがある。しかし肝心の味がよく解らない・・・創業100年に敬意を表して美味いと言っておこう^^
 会計を済ませ店を出ると、小さな市街地には春の光が満ちていた。お腹も満たしたところで「富岡城跡」へ出発だ!

 関ヶ原の合戦で肥後半国の領主小西行長は西軍に組みし敗れた。肥後半国は召し上げられ加藤清正が肥後一国すべてを統治する事となった。しかし、清正は江戸や大坂に上るのに便利と言う理由で豊後(現:大分県)臼杵の一部を飛び地として所領し、天草を幕府に差し出した。
 天草は天領となり、初代城代に佐賀唐津藩主の寺沢広高氏が任命された。富岡城は天草下島の北西、砂州で繋がった陸繋島の富岡半島の南東部の丘陵上にある梯郭式の平山城である。城の南には堀の役割を果たした袋池があり、東部には砂嘴に囲まれた巴湾が天然の土塁となって海からの外敵を防衛する役割を果たしていた。
 また、陸からの進路は砂州のみしかない。極めて攻撃し難い天然の要害を形成していた。

 太平の徳川期にこんなに堅固な城はいらなかっただろうが、その城の守りが生かされる戦火が起こった。「天草・島原の乱」において反乱軍の攻撃を受けたのだ。
 
 その攻撃でもこの城は落ちなかったと言われる。バイクを止めて早速二の丸から見学した。
 
 黒っぽい石垣は岩が丸い。昔のものだろうか?白い石垣は隙間無く敷き詰められて新しい感じがする。
 二の丸に上がると本当の入り口、大手門から登る通りが見えた。ズルして来たんだよね^^
 二の丸にある建造物は「天草の恩人」、「日本の恩人」とかかれた偉人の銅像のみ。4名の紹介はまたの機会に^^
 
 本丸から見た二の丸。徳川期は鎖国政策をとっており、南蛮人の襲来も睨んだ規模だった事が伺わせる。
 
 遠くに細長い砂州が延びて、早崎瀬戸の向こうには島原半島が浮かぶ。
 正面右手の小高い丘は、さっき行った志岐城跡だ。「おーい!反対側に来たよ〜」

 本丸には今はビジターセンターがあるが、ちょっと覗いたところこのお城に纏わると言うよりも、天草の自然を紹介したものが殆どだった。ここもまたの機会に紹介します^^
 実はあわよくば城と桜を撮りたかったのだが、まだ桜は咲いていなかった><
 ところどころに見える新しい石垣がとても無機質に見えてしまい、ちょっと残念。ビジターセンターもここには要らないでしょう・・・。
 意外に一番ヒットだったのは、本丸右手の巨大な木!とんびが止まっているように見えたのだ^^

 せっかくなので外洋を見て帰ろう。城を出て、「四季咲岬」と言う灯台へ向かった。
天草海中公園の海はサンゴや、熱帯魚が多く、タイバーに人気なスポットらしい。綺麗な海ならダイビングもやってみたいなぁ^^

 バイクを駐車場に止め、岬への丘を数分でもの凄い波の音が聴こえてきた。

 早崎瀬戸と天草灘がぶつかり合う四季咲岬。潮騒なんてものでは無い、滝つぼの下にいるぐらい波がぶつかり合う音が激しい。
 「海が泣いている」。合戦や一揆で敗れた人達のうめきのように・・・。

 それでも暗さが無いのは、西日が最後の瞬間まで照らしてくれるおかげなのだろうか。
 灯台の先に立った。右手にはすぐ側に長崎半島が見える。
 遠い南蛮の地に思いを馳せた中世の人たちが見た光景と何も変わらないのだろう。

 目的は終わったが、何となく後ろ髪を引かれていた。富岡海水浴場のビーチへ着てみた。
 シーズンオフの海岸は誰も居ない。子供たちのはしゃぎ声が聞こえる時期にもう一度来て見たいと思った。
 バイクに跨り、西日を背に走った。この旅先では熟年夫婦(失礼)とよく遭遇したが、若者は見当たらない。何処にいるんだろうかと思っていると・・・いたいた、いるかウォッチングの乗船場に沢山のカップルが!
 ソフトクリームを片手に楽しそうにいるかのモニュメントの前で記念写真だ!
「こらー若者!いるかなんて見てないで城見らんかーぃ」

 そんな事を思った自分はもう若くないと苦笑いしつつ、アクセルを開けた。

全走行距離230km
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